練馬のヴェルサイユ宮殿

2019/07/16

外構工事が終わったの

で、久しぶりに練馬の現場を見に行きました。お客様のイメージが「ヴェルサイユ宮殿」でしたので、とても良く出来たと思います。

私の中では「練馬のヴェルサイユ宮殿」だと思っています。外観も良く出来ていますが、内部もヴェルサイユ宮殿そのものです。

お客様はフランスが好きで何度も行かれる内に今度の家はフランスの「ヴェルサイユ宮殿」にしたいと家族の意見がまとまったそうです。

「ヴェルサイユ宮殿」はルイ13世が狩猟用に作った邸宅でしたが、17世紀半ばに太陽王と呼ばれたルイ14世が増築を繰り返し作り上げたのがヴェルサイユ宮殿です。

この宮殿には王族だけでなく貴族が住み、生活を送っていました。庭園には民衆も入ることが許されており、民衆も入ることが許されており、その豪華な宮殿と庭を見て民衆は王の力の巨大さを知ったといいます。

当時の最高の職人たちを招いて完成した宮殿とフランス式庭園は、いずれも高い芸術性を持ち、それぞれの作者の最高傑作と言われています。

ルイ16世の時代まで国王の居城として使用された後、1837年、ルイ・フィリップ王の時代に、フランス歴史博物館として生まれ変わりました。1955年以降は、国の管轄となっています。

 「黄バイ」

2019/06/19

このバイクをご存知ですか?パトランプや装備など、一見すると警視庁の白バイモデルと思うライダーも多いのでは。この「黄色い働くバイク」は通称「黄ばい」と呼ばれる。首都高速パトロール隊です。

首都高パトロール株式会社は、首都高速道路株式会社のグループ会社の一つ。主な業務は首都高速の安全を「より安全に」「より迅速に」「より的確に」を掛け声に、日々首都高速の安全走行を守るために活躍している。

首都高パトロールの基本業務はまず、首都高速管内3箇所にある交通管制室においてお客様に最新情報を提供する。「交通管制業務」。定期的に全線を巡回監視し交通事故、故障車、落下物異常事態の発生に対応する「巡回業務」。

特殊な車両を交通事故で大きく破損した車両や、故障車両の緊急排除を行う「特殊車両運用業務」。警察、消防等と連携して道路法違反車両に対する取り締まり、重量違反車両に対する指導・警告を実施する「取り締まり業務」などが主な業務らしいですね。

そして今回紹介する「黄バイ」。首都高速の中央環状山手トンネルという限られた区域を専用とし、トンネル内の緊急事態発生時の迅速な安全活動を行う業務が「バイク隊」だ。

天草イルカウォッチング

2019/06/15

天草諸島・下島(しもしま)の北端にある通詞島(つうじしま)は、天草空港から車で15分。通詞大橋を通って、本島からは5分で義母のお世話になっている老人ホームのある島に到着します。この島は周囲4km、人口400人が住む小さな島ですが、

餌が豊富なことから沖合には約200頭ものやせい野生のミナミハンドウイルカが生息し、「イルカに会える島」として知られています。丁度私たちが訪れた時も十数頭の群れが見えました。

通詞島沖合のイルカウォッチングは漁船やクルーザーなど小型の船を利用するので、船上からイルカに手が届きそうなほどの至近距離です。

以前は手漕ぎの渡し船で往来していたが、昭和50年(1975)に全長180mの通詞大橋が開通以来、本島との行き来が便利になった。この通詞島の沖合にあるのが、潮の流れが速いことで知られる早崎瀬戸。

早崎瀬戸は、起伏に富んだ海底と潮流によってボラやイカ、アジ、トビウオ、カワハギ、アナゴなどの魚が多く集まる好漁場だ。この豊富な小魚をめあてに、約200頭の野生のミナミバンドウイルカが生息している。

通詞島周辺では、古くから漁師とイルカがうみのお海の恩恵を分かち合い、長年にわたって共存して来た。昔は天草のあちこちの海に生息していたというが、定置網漁などの漁法により海を追われたと考えられる。

一方、通詞島沖合の早崎瀬戸は、潮の流れが速く、定置網漁には適さないため、昔から素潜りや一本釣りによる漁業が主流だった。その漁法は現在も変わらないため、イルカたちも安心してのびのびと回遊できる。

母も東シナ海に沈む夕日やイルカの群れを見ながら長生きをしてもらいたいとて思っています。 

 

『国重要文化財 祗園橋』

2019/06/15

ひさしぶりに本渡の町山口川に架かる「祗園橋」を見ました。半世紀前はほぼ毎日この橋を見ながら この川沿いに母校に通っていましたので、さすがに懐かしいですね。

この祗園橋は、天草市の 町山口川に架かる石橋で国の重要文化財にも指定されています。この石橋は、天保(1832年)町山口村の庄屋、大谷健之助の発案で、下浦村の石屋、辰右衛門により、地元の砂岩を用いて建造されました。

これは多脚式のアーチ形石橋で、長さ28.6m幅3.3mありと石造桁橋としては日本最大級です。石材を5本ずつ9列に並べ、計45本の石材で支えられています。

上流側は石材の角を上流に向けて水切りを良くして、下流側は根元を開き気味に立て水圧に耐えることができるように設計されています。

また、この付近は島原・天草の乱の激戦地のひとつでもあります。寛永14年(1637年)11月、町山口川を挟んで天草四郎の率いる一揆勢と富岡城番代 三宅都藤兵衛の唐津藩が激突し、双方に多くの戦死者がでました。

その数は数百千とも言われ、それらの死体により川はせき止められ、血で赤く染まったと言われています。

石橋自体は江戸後期に架けられたものですが、石橋の下にある岩は島原・天草の乱当時から変わらないと言われています。干潮時には苔に覆われた岩肌があらわになり
歴史の面影を感じることができます。

 

佐渡おけさ

2019/06/08

佐渡市相川町の温泉旅館での余興で佐渡おけさが披露されたのですが、天草出身の私は非常に懐かしく思えました。「佐渡おけさ」の源流が天草市の「牛深ハイヤ節」が源流と説明があり納得しました。

全国的に有名な「佐渡おけさ」は佐渡市北西部、相川町の民謡。同地方で7月25日から3日間開催される「鉱山祭」のパレード用の唄(うた)としてうたい踊られてきたもの。

その源流は熊本県天草市牛深(うしぶか)町 生まれの酒盛り唄「牛深ハイヤ節」で、これが帆船の船乗りたちによって諸国の港へ伝えられたおり、佐渡では小木(おぎ)港へ持ち込まれた。

それがのちに相川金山にも伝わり、酒盛り唄、さらに選鉱場でも歌われるようになった。ところが1896年(明治29)11月、相川金山が民営化される記念に、翌年8月13日から3日間「鉱山祭」を催すことになった。

この時鉱山労働者たちは先の「選鉱場節」に花い笠をかぶり、踊りを加えて、町を流して回った。この時は「選鉱踊り」の名で演じられていたが、1906年(明治39)
ごろから越後(えちご)側の流行り唄「おけさ」にあやかって『相川おけさ』と改名した。

その後24年(大正13)6月10日に地元有志による民謡団体「立浪(たつなみ)会」の結成があり、名人村田文蔵が入会。

26年に日畜レコードに吹き込むに際し、会社側から、「相川」より「佐渡」の方が世間へのとおりが良いといわれて『佐渡おけさ』と改名、以後、島の観光用の歌として広まっていった。