千石船「白山丸」1

2019/05/22

佐渡島の小木町の「宿根木」で実物大の北前船に遭遇しました。船の名前は千石船「白山丸」本物の北前船を見て以前から興味のあったとても興奮しました。まさか
新造の「北前船」を見れるとは‼

「北前船」は、瀬戸内海から松前の間の日本海側を航行する、積み荷を各地で売買する商船のことを指します。後にそう呼ばれるようになったもので、当時は「北国船(ほっこくせん)」とか「弁財船(べんざいせん)」などと呼ばれていました。

北前船が活躍したのは江戸時代の半ばから明治の20年代ごろまで。流通が発達していなかった当時、ものの値段は地域によってまちまちでした。

北前船はものを安いところで買い、たかいところで売りさばき、その差益で成り立つ商売です。北前船が盛んに行き来する日本海沿岸の諸都市は、船が運ぶモノと情報で栄えました。

瀬戸内海から松前まで、江戸時代に一気に航路が栄えたわけではありません。日本海での船の行き来は昔からありましたが、ほぼ自給自足に近い生活をしていた頃は、税を除けば国をまたいで運ぶものはわずかで、長距離輸送に耐えて大量に物を運べる船がありませんでした。

戦国時代になると、越後から青苧(あおそ)を積んだ船が盛んに越前の敦賀へ航行するようになります。当時は京都が日本の中心地で、北陸、東北からは敦賀から琵琶湖を経由して京都へ向かうルートを使い、それを超えて西国や、瀬戸内海経由で大坂などへ行くことはありませんでした。

西では西国の船が航行し、敦賀や琵琶湖のほとりの大津が西と東の接点、東西から来る船の折り返し地点でした。

金の島 「佐渡ヶ島」

2019/06/01

佐渡ヶ島は、古く8から「金の島」として知られていた。平安時代末期(12世紀前半)に編まれたとされる説話集『今昔物語集』には、能登の国司に仕えた鉱夫が佐渡に派遣され、千両ほどの金を持ち帰ったという話がある。

能の大成者である世阿弥は、流刑地の佐渡でつづった小謡(こうたい)集に『金投書(きんとうしょ)』(1434年作)と名付けた。佐渡最古の砂金山といわれる西三川砂金山の操業が1460年頃。そのため、当時は主に砂金を採集していたとかんがえられる。

1542年に鶴子銀山が発見された事で、鉱山の採掘技術と運営方法が佐渡で蓄積されていく。そして、1601年に鶴子銀山の山師によって相川金銀山が発見されると、

それまでに集積した鉱山技術によって一気に開発は進み、「金の島 佐渡」としての歴史が本格的に動き出す。

相川金銀山の発見から1年後の1602年、初代佐渡代官になった田中清六から徳川家康のもとに1万貫の銀が送られた。金に換算すると17万両(現在の価値で推定200億円)ほどの価値になるという。

現在の相川金銀山は一般に「佐渡金山」と呼ばれているが、17世紀初頭は銀の採掘量の方が多く、当時世界一と言われたボリビアのボトシ銀山に次ぐ銀の山でもあった。最盛期には年間400キログラムの金とともに、40トンに及ぶ銀が採掘されていたという。

佐渡金山の観光

2019/05/21

2泊3日で佐渡ヶ島に行って来ました。佐渡ヶ島と言えば金山です。
現在、佐渡金山は観光施設として一般公開されており、国史跡、国の重要文化財、国近代産業遺産、国重要文化的景観に指定されています。

金・銀を採掘していたトンネルの総延長は佐渡から東京までの距離と同じ400kmにも及ぶ坑道になっています。東西3000m、南北600m深さはなんと海面よりも800mに広がっており、アリの巣のように何層にもなっていました。

そのうち、約300mの坑道(トンネル)が、観光用に整備されており、実際入って体験することが出来ましたが、中は10度位でかなり寒かったです。

ちなみに、観光できる佐渡金山の坑道は、宗太夫抗と道遊抗の「2つ」に分かれています。

宗太夫抗(そうだゆうこう)は、江戸金山絵巻コースと言う副タイトルがついているとおり江戸初期の手掘り坑道跡が見学できるようになっており、佐渡金山絵巻に描かれている採掘作業が、動く人形などによって再現されています。

鉱山で働いていた鉱夫の給料は良かったようで、相川の街は推定人口3万人で、大変栄えたと伝わります。

江戸時代の後期には無宿人と呼ばれた浮浪者1800人を江戸から連れてきたり、罪人を強制連行して労働させたりしました。

宗太夫抗には江戸時代の苛酷な採掘風景を再現した人形が約70体設置されています。

我が家の庭

2019/05/18

 

我が家の庭のバラ を紹介します。

「ジェーンオースチン」
花色はソフトなアプリコットイエロー
中輪花・ロゼット咲きで、ボタンアイを見せることもあります。
ティーローズ系の芳香。枝はしなやかですが、やや直立性の樹形。
四季咲き。

「アイスバーグ」
花色は透明感のある純白色で、清楚な雰囲気のバラ。
トゲが少なめで、枝がほそく、ややうつむき加減に咲きます。
多花性で花もちも良く。丈夫でそだてやすいため、世界中で植栽されている銘花です。
ティーローズ系のさわやな香り。
四季咲き。

「ラベンダードリーム」
花色は紫を帯びたピンク色
半横張り性の樹形。
枝先に、小さな平咲きの花を多数つけ、満開時は株を覆うように花が咲く。
修景バラとして紹介されることも多い。
素朴な花は和風、洋風どちらの庭にもよく合う。
耐寒性のある丈夫なバラで、育てやすい。
耐陰性にも優れており、半日陰でもよく咲く。
四季咲き。

「バレリーナ」
花色は外側が濃いピンク色、中心部が白色。
半横張性の樹形で、無剪定だと2m前後まで伸びる。
花は一重の平咲き。花の直径は3㎝前後と小さいが、花数の多い房咲きになるため満開時は見事。
花もちも良く、長期間花を楽しめる。

ここに紹介した4種類のバラは初心者向けですが、とても綺麗にさきます。

 

 

 

中国・蘇州

2019/04/25

24日は大連から上海に到着しました。到着後直ぐに、2箇所ほど現場調査をしました。翌25日は朝早く、タクシーで蘇州に現場調査に向かいました。

紀元前514年に呉国の王によって造られた蘇州の町はなんと2500年もの長い歴史があります。そんな悠久の時を刻んできた蘇州には魅力溢れる歴史的建造物、シルクなどの名産品、そして蘇州グルメなどがあります。

蘇州は上海からタクシーで約2時間。江蘇省の中心都市で、太湖と長江に挟まれ、「アジアの水の都」として有名な都市です。「東洋のベネチア」とも呼ばれています。

以前3度ほど蘇州に来たことがありますが、近年 蘇州に日本人街が有るというほど日本企業が進出して休日には駐在の日本人家族によく会います。

蘇州には中国四大庭園のうち2つが集まる古都です。世界遺産にも登録されている拙政園(ジュオジョンユエン)造園芸術の傑作とも謳われていて、蘇州最大の庭園として有名です。

そしてもう一つは留園です。留園の完成は清代ということで比較的新しいものですが、その原型は明代で。王献臣が拙政園を開いた時期と前後していると言われてます。

現場についてビックリしました。高い塀に囲まれた中に数十棟はあると思われる地下1階地上2階建て700㎡の建物です。依頼された仕事は内装設計とマッハシステムの空調設計です。期待されていますので、頑張ります。

現調後 太湖のほとりにある蘇州料理店でランチを食べましたが、結構 日本人の口に合ってとてもおいしかったです。