天草イルカウォッチング

2019/06/15

天草諸島・下島(しもしま)の北端にある通詞島(つうじしま)は、天草空港から車で15分。通詞大橋を通って、本島からは5分で義母のお世話になっている老人ホームのある島に到着します。この島は周囲4km、人口400人が住む小さな島ですが、

餌が豊富なことから沖合には約200頭ものやせい野生のミナミハンドウイルカが生息し、「イルカに会える島」として知られています。丁度私たちが訪れた時も十数頭の群れが見えました。

通詞島沖合のイルカウォッチングは漁船やクルーザーなど小型の船を利用するので、船上からイルカに手が届きそうなほどの至近距離です。

以前は手漕ぎの渡し船で往来していたが、昭和50年(1975)に全長180mの通詞大橋が開通以来、本島との行き来が便利になった。この通詞島の沖合にあるのが、潮の流れが速いことで知られる早崎瀬戸。

早崎瀬戸は、起伏に富んだ海底と潮流によってボラやイカ、アジ、トビウオ、カワハギ、アナゴなどの魚が多く集まる好漁場だ。この豊富な小魚をめあてに、約200頭の野生のミナミバンドウイルカが生息している。

通詞島周辺では、古くから漁師とイルカがうみのお海の恩恵を分かち合い、長年にわたって共存して来た。昔は天草のあちこちの海に生息していたというが、定置網漁などの漁法により海を追われたと考えられる。

一方、通詞島沖合の早崎瀬戸は、潮の流れが速く、定置網漁には適さないため、昔から素潜りや一本釣りによる漁業が主流だった。その漁法は現在も変わらないため、イルカたちも安心してのびのびと回遊できる。

母も東シナ海に沈む夕日やイルカの群れを見ながら長生きをしてもらいたいとて思っています。 

 

『国重要文化財 祗園橋』

2019/06/15

ひさしぶりに本渡の町山口川に架かる「祗園橋」を見ました。半世紀前はほぼ毎日この橋を見ながら この川沿いに母校に通っていましたので、さすがに懐かしいですね。

この祗園橋は、天草市の 町山口川に架かる石橋で国の重要文化財にも指定されています。この石橋は、天保(1832年)町山口村の庄屋、大谷健之助の発案で、下浦村の石屋、辰右衛門により、地元の砂岩を用いて建造されました。

これは多脚式のアーチ形石橋で、長さ28.6m幅3.3mありと石造桁橋としては日本最大級です。石材を5本ずつ9列に並べ、計45本の石材で支えられています。

上流側は石材の角を上流に向けて水切りを良くして、下流側は根元を開き気味に立て水圧に耐えることができるように設計されています。

また、この付近は島原・天草の乱の激戦地のひとつでもあります。寛永14年(1637年)11月、町山口川を挟んで天草四郎の率いる一揆勢と富岡城番代 三宅都藤兵衛の唐津藩が激突し、双方に多くの戦死者がでました。

その数は数百千とも言われ、それらの死体により川はせき止められ、血で赤く染まったと言われています。

石橋自体は江戸後期に架けられたものですが、石橋の下にある岩は島原・天草の乱当時から変わらないと言われています。干潮時には苔に覆われた岩肌があらわになり
歴史の面影を感じることができます。

 

金の島 「佐渡ヶ島」

2019/06/01

佐渡ヶ島は、古く8から「金の島」として知られていた。平安時代末期(12世紀前半)に編まれたとされる説話集『今昔物語集』には、能登の国司に仕えた鉱夫が佐渡に派遣され、千両ほどの金を持ち帰ったという話がある。

能の大成者である世阿弥は、流刑地の佐渡でつづった小謡(こうたい)集に『金投書(きんとうしょ)』(1434年作)と名付けた。佐渡最古の砂金山といわれる西三川砂金山の操業が1460年頃。そのため、当時は主に砂金を採集していたとかんがえられる。

1542年に鶴子銀山が発見された事で、鉱山の採掘技術と運営方法が佐渡で蓄積されていく。そして、1601年に鶴子銀山の山師によって相川金銀山が発見されると、

それまでに集積した鉱山技術によって一気に開発は進み、「金の島 佐渡」としての歴史が本格的に動き出す。

相川金銀山の発見から1年後の1602年、初代佐渡代官になった田中清六から徳川家康のもとに1万貫の銀が送られた。金に換算すると17万両(現在の価値で推定200億円)ほどの価値になるという。

現在の相川金銀山は一般に「佐渡金山」と呼ばれているが、17世紀初頭は銀の採掘量の方が多く、当時世界一と言われたボリビアのボトシ銀山に次ぐ銀の山でもあった。最盛期には年間400キログラムの金とともに、40トンに及ぶ銀が採掘されていたという。

佐渡金山の観光

2019/05/21

2泊3日で佐渡ヶ島に行って来ました。佐渡ヶ島と言えば金山です。
現在、佐渡金山は観光施設として一般公開されており、国史跡、国の重要文化財、国近代産業遺産、国重要文化的景観に指定されています。

金・銀を採掘していたトンネルの総延長は佐渡から東京までの距離と同じ400kmにも及ぶ坑道になっています。東西3000m、南北600m深さはなんと海面よりも800mに広がっており、アリの巣のように何層にもなっていました。

そのうち、約300mの坑道(トンネル)が、観光用に整備されており、実際入って体験することが出来ましたが、中は10度位でかなり寒かったです。

ちなみに、観光できる佐渡金山の坑道は、宗太夫抗と道遊抗の「2つ」に分かれています。

宗太夫抗(そうだゆうこう)は、江戸金山絵巻コースと言う副タイトルがついているとおり江戸初期の手掘り坑道跡が見学できるようになっており、佐渡金山絵巻に描かれている採掘作業が、動く人形などによって再現されています。

鉱山で働いていた鉱夫の給料は良かったようで、相川の街は推定人口3万人で、大変栄えたと伝わります。

江戸時代の後期には無宿人と呼ばれた浮浪者1800人を江戸から連れてきたり、罪人を強制連行して労働させたりしました。

宗太夫抗には江戸時代の苛酷な採掘風景を再現した人形が約70体設置されています。

天草会レクレーション大会

2017/07/26

毎年恒例の天草会レクレーション大会を都留市のロッジ鹿留で行われました。社員 職人さん達 業者さん達 又その家族の人たち たくさんの方に参加 して貰い大変盛り上がりました。フライフィシングで鱒をたくさん釣りました。腕というよりはフライを巻いてくれた 山下さんのお陰だと思っています。釣りの後はみんなで一緒にバーベキューを楽しみました。これからもお付き合いのほど宜しくお願致します。本当に楽しい一日でした。皆様ありがとうございました。

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