2021/01/12
毎年、東京に来てからは父親に連れられて家族揃って毎年初詣は何故かしら「高幡不動尊 金剛寺」は我が家の恒例行事です。
天草で住んでいた時も近くのお不動さんにお参りしていたので、東京に来てからも車の御払いはじめ、子供たちのお宮参りも「高幡不動尊」でした。
今年も早速、家族揃って初詣に行きました。金剛力士像の安置されている「仁王門」をくぐり「不動堂」にお参りして「奥殷」に行き、五重塔の横を通って弁天池に架かる弁天橋を渡って弁天様にお参りを済ませ、昼食にしました。
仁王門を出て道路を渡ったところにある名物の「開運そば」を食べました。今年はゆっくりと食べることが出来ました。今年は色々あるけれどもきっと良いことがある様な気がしました。
「高幡不動尊」は幕末志士で有名な「土方歳三」の菩提寺でもあります。土方歳三は天保6年(1835年)、現在の日野市石田にて生誕。「土方歳三」の銅像は小さな弁天池そばにあります。
生家は「石田散薬」という家伝薬を副業とする旧家で、「お大尽」と呼ばれる裕福な家でした。少年時代は大店に奉公にでたり、家伝の秘薬「石田散薬」の行商販売をしていました。
そんな土方に転機が訪れます。25歳にして、天然理心流に入門したのです。年齢的には遅い入門でしたが、そこで盟友となる近藤勇や沖田総司らと出会いました。入門は遅いながら、剣術そのものは17歳位から馴染んでいたようです。
上達も早く、資質もありました。特に実践的な戦闘となると滅法強い。往来の気の強さ、判断力が加味されて、無類の強さになったようです。天然理心流は、寛政年間頃に創設された比較的新しい流派です。
日野・八王子地域の千人同心を中心に広まりました。八王子千人同心の任務は治安維持、凶悪な犯人を捕縛する、いわば特殊部隊です。
「将軍家の為に尽くしたい」と願っていた彼らの運命を左右するニュースが、文永3年(1863年)に「将軍様が上洛する!ので、その護衛を会津藩と共に担うことなり、新たに選ばれた組だか、<、ら「新撰組」と名乗りました。
以前から尊皇攘夷派は危険視しており、その名が決定的に有名となるのが「池田屋事件」です。
この事件で、彼らの驚異的な戦闘力があらわになりました。圧倒的劣勢で適地に踏み込み、会津藩士が駆けつける前に長州・土佐藩士を征圧したその実力、京都を震撼させたのです。
ただ、彼らを預かる会津藩も、その上にある幕府も、政治的に追い詰められつつありました。260年間続いた盤石の江戸幕府にも、その支配力には陰り見えていました。
「鳥羽伏見の戦い」で、新選組を含めた幕府軍は大敗北します。その後土方は蝦夷地をめざしましたが、函館の五稜郭で流れ弾に当たりあえなく戦死。享年35でした。今も土方歳三は多摩地区の多くの人の心に生きています。