薪ストーブ

2021/9/12

薪ストーブは、薪を燃料とする暖房器具。主に輻射式、対流式の二つの暖房方式があり、ほとんどの製品はその両方の機能を併せ持っている。材質は鋳鉄製と鋼板製が多い。燃料は石油、石炭のように枯渇してしまう地下資源ではないこと、燃焼時に放出される二酸化炭素は木の成長によって回収されるため、カーボンニュートラル(炭素中立)な暖房であるという利点がある。

 

古来より人は防寒や調理の目的で火は生活にかかせないものであった。焚火が発達し、屋内でも日が焚けるようにしたものが囲炉裏であったが、煙の出口がなかったため、後にフードと煙突の付いた囲炉裏が考案された。それを元に囲炉裏を壁の中に埋め込むことで暖炉が考案された。アメリカでは移民がイギリスの暖炉を持ち込み、家庭で使っていたが従来の暖炉は暖房効率が低く燃料を大量に消費した。

1742年・政治家・発明家として知られるベンジャミン・フランクリンが暖炉の暖房効率を改善するため全面以外の5面を鉄板で囲ったフランクリン・ストーブ(ペンシルバニア暖炉)を発明。バッフル版が装着されたこのストーブは暖房効率が高く好評で、多くのメーカーから同様の暖炉が販売され主流となった。

後にフランクリン・ストーブは改良により現在の薪ストーブのように扉が付けられた。それが現在の薪ストーブのはじまりである。アメリカではその後、一旦は石炭・石油の発達により、薪ストーブの人気は下降したが、石油危機をきっかけに復活。

その後環境に関する法制定により、二重燃焼システムや触媒など燃焼効率を高めた機種が開発された。その他、紀元前の中国では煙突付きの青銅製のストーブが既に存在していた事が知られている。

扉の付いた鉄の箱に煙突が取り付けられた構造が薪ストーブの基本的な形態である。暖炉や焚火との違いは、前者が空気の出入りが開放的であるのに対し、薪ストーブは蜜閉的であることである。

暖炉や焚火が燃焼に必要な空気の数十倍の量の空気を吸い込み排気するのに対し、薪ストーブは小さな空気の入り口を調整し燃焼に必要な空気を取り入れ、煙突からの排出も調整される。

その為取り入れられる空気は燃焼に必要な量の2~3倍に制限される。前者がほぼ火そのものの輻射熱しか感じさせないのに対し、薪ストーブでは本体内の燃焼によって生じる熱を本体表面からの輻射熱や、本体周囲を対流する温かい空気によっても部屋を暖めることが出来る。

薪ストーブは本体内の燃焼によって生じる熱を本体表面からの輻射熱や、本体周囲を対流する暖かい空気によっても部屋を暖めることが出来る。薪ストーブには燃焼調整のために空気弁、煙突ダンパーといった機能が付与され、近年では燃焼効率や趣味性を上げたり、燃焼ガスの環境規制を通過するために、ガラス扉、二次燃焼、触媒、バッフル版などの機能が付与されている。

しかしながら、薪ストーブだけでは全室暖房するのは無理である。もちろん冷房の事を考えると相性が非常に良いのはマッハシステムによる全館空調である。

暖炉

2021/9/4

今年は9月に入ると雨の日が多く、朝晩はかなり涼しい日が多くなってきました。夏の終わりになると寒冷地での別荘の注文も多くなります。特に軽井沢とか山中湖の依頼が多くなります。

寒冷地での建物の場合、冬場の寒さ対策には以前は床暖房が多く採用されてきましたが、ペットの犬や猫にとっては床暖房は絶対良くありません、そしてまた、近年温水の熱源をどうするか?地球温暖化などの色々な問題もあって薪を使った暖炉やストーブがたくさん採用されるようになりました。

11世紀までのヨーロッパでは、日本の囲炉裏と似た構造の炉を屋内に設けていた。12世紀に入ると2階建ての建物が作られ始めるようになり、屋内に炉を設けると天井高が吹き抜けの平屋に比べて低いために火災の危険が高まった。その解決法として、不燃材で造られた石やレンガの壁際に煙道を設けるようになった。

それがヨーロッパにおける煙突の発明及び暖炉のはじまりである。そのため初期の暖炉は現在の暖炉とは異なり排煙を目的とした大きなフードと火床のみで構成されていた。暖炉はその構造にかなりのコストがかかるため、暖炉の数や煙突の数に応じて税金がかけられるほどの高級品であり、18~19世紀頃までは一般的な家庭には存在しなかった。

ただし紀元前の中国やローマでも薪ストーブや暖炉に類する物がすでに発明され、使われていた。それらの技術は伝世しなかったため、現代の暖炉との技術的なつながりはない。

煙突及び暖炉の発明により家の間取りのどの位置にも炉を設けることが可能になった結果、部屋を区切り各部屋に調理を目的としない暖房装置としての暖炉が設けられるようになる。その結果、客間の暖炉には一番居心地の良い暖炉のそばを上座とする習慣が出来た。

部屋の調度品としての重要度も高まり、暖炉周りのマントルピースの装飾に力が注がれる伝統が出来た。16世紀の頃には暖炉の設計手法が確立されて煙の逆流に対する耐性などが上がり、現在の暖炉とほぼ同じものが作られるようになり、17世紀には北欧で囲炉裏の周りをレンガで囲む技術が発明され、それがロシアに伝わったことでペチカが発明された。

暖炉は耐火レンガや石材などを用いて室内の壁面などに作られた炉で、煙突で家屋の外部と直結している。炉内で薪や石炭を燃やし、その熱で室内を暖房する。現代では、煙や人体に有害な一酸化炭素を出さないエタノール燃焼暖炉や、炎のように揺らめくイルミネーションを映し出す電気式の疑似炎暖炉もある。

ストーブとの根本的な違いは、燃焼用空気の調整弁の有無である。暖炉は焚火と同じ解放燃焼暖炉であるので燃料の量のみで燃焼を制御する。炉床には耐火レンガが必要で、火事を防ぎ、燃焼効率を効率を上げるためにその断熱には最大限の注意を払わなければならない。

また、煙突への接続部はスロートがあり、燃焼ガスのみを吸い出し、屋外の空気の逆流を防ぐために絞りが与えらている。これがないと室内の空気が過度に吸い出されるため、部屋の温度が上がりにくく、不使用時に隙間風がはいりので、ダンパでその開度は調節でき、不使用時には閉めることが出来る。

暖炉スロートを用いても暖房効率が低く薪を燃やして得られたエネルギーのうち90%は煙突から外部に放出されるために、部屋の空気を温める能力は限定的である。その代わりに裸火による暖房の輻射熱はとても高い。近年では薪を燃やしたエネルギーの半分以上を暖房として用いることが出来る薪ストーブを暖炉のように壁に埋め込んだビルトイン薪ストーブを暖炉と称することもある。

また、暖炉は特に西洋では部屋の格式や、席次を決める上での重要な調度品であり、暖炉周りのマントルピースなどの装飾品には力が注がれる。炎の前方には断熱ガラス製の扉が付けられることもあるが、輻射熱が減少するため、暖炉後方に通気し、得られた熱風を下から噴出して熱効率を改善するタイプもある。

一般的な住宅の場合 開放型燃焼暖炉は室内の空気を消費してしまうので、燃やせば燃やすほど火から遠いところでは隙間風で寒くなる。高気密高断熱の家に熱交換器換気システムやマッハシステムとの相性はとても良いです。

天草フィッシング

2021/08/14

13日に釣り船を予約していたのですが、物凄い雨と風で翌日に順延しまして、翌14日朝の5時半に少し風と波がありましたが、出港しました。ここ数年間 毎年恒例の釣りですが、こんなに雨が続いたのは初めてでした。

出港して1時間ほどで漁場ですが、天気も曇りで波もそんなに高くなく 熱くもなく昨日までの事を考えれば最高の釣り日和です。仕掛けは鉛に針2本つけただけの本当にシンプルなものです。餌は活きエビを使います。

いままでに、色々な仕掛けをやってみましたが、うまくいきませんでした。たとえば鯛かぶらとか一つテンヤ等 (腕の問題かもしれません?) やっぱり地元の人たちが、やっている方法が一番よさそうです。

漁場は風と波の影響を受けにくい 獅子島とその東に位置する小さな蔓島の間で釣ります。本命は真鯛ですが、最初はハンタ(イラ)ばっかりでがっかりでしたが、この魚はひきが強くてとても楽しい魚です。

なぜか近年はとてもたくさん釣れます。2・3㎏を中心に70匹から80匹位 良く釣れました。速く血ぬきをして冷蔵するとおいしいのですが、アシが早いので手早く料理をした方がいいと思います。

一番の大物は息子釣った4㎏位のココダイ(コショウダイ)はイサキ科の魚です。私は去年の8月に5㎏のココダイを釣りましたが、今年は息子に負けてしまいました。ココダイはタイに負けず劣らず 凄い引きをします。釣り人にとっては最高の魚ですし、刺し身でも煮ても焼いても美味しい魚です。ココダイが大小8匹釣れました。

30㎝級のカサゴが20匹位そして、それ以下が30匹位は釣れました。今やカサゴは高級魚です。魚専門店ではかなりの値段で売られています。カサゴは一年中 岩場やテトラポットでもよく釣れますが、大きなものは刺身、フライやお味噌汁、煮つけなどで食べます。以外にも大きなものは刺身、きれいな白身で美味しい魚です。

最後に大本命 真鯛です。最後に立て続けに2・3㎏の真鯛が十数匹が釣れました。鯛は釣り人にとっては最高のターゲットです。とにかく釣るのが、楽しい魚です。とても引きが強く、最後まで暴れてくれます。

鯛料理は刺身にしても、ムニエル、煮魚、焼き魚、色々な料理が楽しめます。私は釣るのは大好きですし、また食べることも大好きです。

次回は真鯛釣りも好きですが、今度は秋の青魚 いわゆるブリ、ハマチ、そしてヨコワ ヨコワは、クロマグロの幼魚です。寿命は20年以上とも言われ成魚は400㎏近くにもなるので、漁の対象にしかなりません。

しかし、そんな魚でもヨコワと呼ばれる幼魚の間は立派な釣りの対象魚になります。釣り道具もちやんと揃えて、チャレンジしてみたいと思います。

 

 

 

「変なホテル」

2021/07/29

浦安市のアパート建築現場に行きました。現場の進み具合は順調に外壁工事のレンガ工事も進んでいます。内装工事の大工工事も予定通りに進んでいました。

内部は電気配線・水道工事の内部配管も終わり内装大工さんが石膏ボード張りを始めたばかりです。完成すると外壁が白いレンガの素敵なアパートになると思います。

この現場の道路むかいにHISが運営する「変なホテル」があるのですが、ある日突然小さなプレハブが置かれてその小さなプレハブとホテルの壁に韓国の国旗とハングル文字の書かれた横断幕が掲げられていました。

韓国選手団、選手村外に「給食センター」を作り運営して 日本食材を拒否する選手に「弁当配布」を配布する予定だったらしい。

韓国メディア「毎日経済」によると、韓国選手団は「放射能汚染されているから」との理由で選手村の内部に「韓国産食材」を持ち込もうとしたが、選手村から拒否された。

その為、千葉県内のホテルを貸し切って独自の給食センターを運営。韓国から調理師と栄養士を派遣して、弁当を作り、日本食材を拒否する選手に対して弁当を配布する計画らしい。

キムチなどの韓国から持ち込み可能なものは自ら準備するが、それ以外の食材(国外から持ち込み不可の物)については、日本で調達する際に放射性物質の検査を念入りにおこなうと説明している。

これを前に韓国選手団のシン・チヨン選手村長は「東京オリンピックに出場する韓国代表選手たちに対して福島産と疑われるものを可能な限り避けようとしたが、結局、選手村が提供する料理を食べることになってしまった」とあかしていた。

少なくとも、私が見たのは夕飯の用意をする時間帯にも拘らず、料理人の方達はそんなに忙しそうには見えなかったのですが、韓国選手団のみなさんが、この給食センターのおべんとうより、選手村の食事が安全で美味しいといったら、韓国選手団の団長は大変だとおもいます。

どこの国の人でも自分が慣れ親しんだ料理が一番安心して食べられると思いますが、安全な食べ物は日本は世界的に見てもかなりの水準だとおもいます。私も仕事でアジア、北米、北欧諸国、南欧諸国を旅しましたが、安全にはかなり気を使いました。

オリンピック競技では、どの国の選手も正々堂々と頑張ってほしいです。これまでの5年間苦しい時を練習で大変だったと思いますので、せめて試合は楽しんで日本の美味しい食事も楽しんで貰いたいものです。

 

トヨタ産業技術記念館

2021/07/25

先日初めてトヨタ産業技術記念館に行ってきました。名古屋駅から歩けるのですが、栄生駅から3分位ですので、栄生駅から歩るくのが、お勧めです。

豊田佐吉の命によって建造され、1911年完成の「豊田自動織布工場」の跡地に開設されたものです。昔のレンガ作りの工場を改築したもののようです。レンガ積みの住宅を設計している私としては、展示品も興味がありますが、建物も大変興味がありました。

展示は繊維機械に関する「繊維機械館」と、自動車に関する「自動車館」の大きく2つに分類され、それぞれ納められている。「繊維機械館」は大正・昭和初期の紡績工場に思わずタイムスリップしたようです。約3468㎡もの広々とした空間は、大正時代に建てられた紡績工場で、柱や梁や赤レンガの壁をそのまま使用しています。

展示場には、紡ぐ・織る初期の道具から機械、さらに現代のメカトロ装置の繊維機械まで約100台を一堂に展示。説明と実演によって、技術の進歩の様子が手に取るようにわかります。私も八王子市は織物工場がたくさんありましたので見た事があります。

「自動車館」はトヨタの自動車づくりをさまざまな角度から紹介しているのが、この自動車館。延べ7900㎡。大きな体育館に、ショールームと自動車工場が丸ごと入った感じです。「自動車事業創業期」「時代を見据えた車両開発」「開発技術」「生産技術」「豊田喜一郎とは?」5つのゾーンから構成されています。

トヨタ自動車の創業者・豊田喜一郎の生涯はまさに国産自動車工業の発展の歴史そのものでした。わずか4馬力の小型エンジンの試作に始まり、A型エンジンの完成、AⅠ型乗用車の製造、トヨタ自動車工業の設立等々が展示されています。

そして、トヨタの昔の乗用車が展示してあります。私が十代の頃とても人気の車が何台かありましたが、その中でも際立っていたのが、トヨタ自動車のイメージリーダーとして、国際的に通用するスポーツカーとして、開発された。「トヨタ2000GT」です。DOHCエンジン、5段フルシンクロメッシュ・トランスミッション、4輪ディスクブレーキ、ラック・アンド・ピニオン式ステアリング、リトラクタブル・ヘッドライトは、トヨタ自動車ではこの車から本格採用された。

これらは1980年代以降、量産自動車において珍しくない装備となっているが、1960年代中期においてこれらを全て装備した自動車は、当時としては最上の高性能車と言えた。これらの先進的装備と生産台数のすくなかさから「国産車初のスーパーカー」と呼ばれることがあり、生産終了から半世紀近く経つ現在も旧車では抜群の知名度を誇っている。

中古車市場では多くの場合プレミアム価格が付いて、高額で取引され、新車時に日本国外に輸出された2000GTを日本に逆輸入される場合もある。2013年にはクラッシックカーのオークションで約1億2千万円で落札された。現在ではもっと高くなっていると思います。ボンドカーにもなったトヨタ2000GTは生産台数は337台です。私はこれまでに、数回見かけました。