清里高原の家

2020/07/28

T氏様邸は完成してから初めて見に行きました。JR小海線清里駅付近の標高1200mの森の中に建つかわいいお家です。

奥様とはご両親様の実家を施工させて頂いて以来の付き合いです。そして、毎年恒例の天草ハウジング主催の山中湖でのカヌー大会にはご夫婦のみならず、ご両親と一緒にインストラクターで参加頂いております。

残念ながら今年は新型コロナウイルスでカヌー大会はできませんが、来年は問題なく出来る様に願っています。

T氏様御家族にはいつも感謝しています。そして、今回実家に続けてご自宅の建築の依頼も頂き有難いと思っています。

この家を着工したのは2019年10月でしたので、フレーミング大工さんは雪のちらつく中で頑張ってくれました。標高1200mなので、ー15℃位の日もあったようです。

建方工事が終わりサッシがついて断熱材を入れると外が少し位の寒さでも暖房機がはいれば温かく作業は問題なく進めることが出来ます。

この時期、天草ハウジングの寒冷地での現場は山中湖、那須高原、そして清里高原、
その中で一番寒かったのは、この場所でしたが問題なく4月には引き渡すことができました。

今日は梅雨の晴れ間が時々ありましたが、梅雨明けになると最高の季節になると思います。寒冷地での家造りは、色々と注意しなければならない事があります。

清里のある八ヶ岳高原の南麓では別荘でお使いになる住宅をたくさん工事させていただいていますが、最初から専用住宅で建てるのは、久し振りです。

先ずは建物の基礎工事は凍結深度より深く根入れをしなければなりませんし、冬場の水道管の凍結による破裂、家の中では高気密高断熱の家、そして計画換気も大事です。 そして、寒冷地の建物は暖房設備も大事です。

寒冷地では直ぐに「床暖房工事」となりがちですが、高気密高断熱の建物では全館空調のマッハシステムや薪ストーブが良いと思います。

T氏様邸では薪ストーブを選択されました。とても良い選択だと思います。

清里は昭和40年代、清里駅中心にペンションがたくさん出来て、飲食店、お土産屋さんがたくさんありました。駅から車や徒歩で登って行くと清泉寮があります。

清泉寮は、現在ではロッジ、コテージ、レストラン、キャンプ場などを有する宿泊・研修施設であるが、建設当初の1938年は、清里開拓の父と呼ばれるポール・ラッシュが指導した日米協会青年活動によるキリスト教研修の中心施設であった。

八ヶ岳の南麓に広がる清里高原は、標高1000~1900mにわたる火山斜面で、近代には原野が広がっていた。本格的な入植は1938年に始まったが土壌が強酸性の為、栽培できるものはソバ、アワ、ヒエ、モロコシ、などの雑穀とライ麦・ジャガイモ・大豆、小豆・などの作物に限られていた。

1953年には凍霜害で畑作物は全滅に近い被害を被った。このことが農家を耕作農業から現在にいたる酪農へ転換させる転機となった。

清里の観光地化は1950年代に始まり、登山道が整備され、山梨県営のスキー場、キャンプ場などがオープンした。1960年代には国鉄小海線の北側の県有林が別荘団地と学校寮団地として開発された。

この頃、酪農への行き詰まりも発生し、牧場民宿の発達の起爆剤となった。1978年7月1日には清里に最初のペンションが誕生し、民宿を追い抜く勢いで急増し、1980~90年代にかけては清里観光のブームが巻き起こり、メルヘンチックなイメージが形成された。

この渦中で清泉寮は清里の一大観光研修施設となっていった。2006年9月には財団法人地域活性化支援センターにより「恋人の聖地」に選定された。

 

イチジク

2020/07/21

神戸屋レストランでランチをたべたのですが、色んな種類のパンが食べられますが、私が好きなパンのひとつが、乾燥した「イチジク」の入ったパンです。

子供の頃から「イチジク」は良く食べていました。当時からほとんどの家の庭にはミカンとイチジクの木が植えてあり、その実をよく食べていました。

私の生まれ育った天草は日本での「イチジク」発祥の地とされ、1591年にポルトガル人の神父によってリスボンから伝えらた。

伝来当時の日本では、はじめ「唐柿(からがき)」、ほかに「蓬莱柿(ほうらいし)」「南蛮柿(なんばんがき)」「唐枇杷(とうびわ)」などと呼ばれた。

いずれも「異国の果物」といった含みを当時の言葉で表現したものである。なお現在でも天草市では「イチジク」を「南蛮柿」と表記する文化が残っている。

日本では、せいぜい樹高3~5mほどに成長する樹であるが、条件が良ければ高さ20m 幹径1m以上にもなる落葉高木である。

葉は大型3裂または5裂する掌状で互生する。日本では、浅く3裂するものは江戸時代に日本に移入された品種で、深く5裂して断片の先端が丸みをおびるものは明治以降に渡来したものである。茎や葉を切ると白乳汁が出る。

栽培イチジクの栽培品種は結実に雌雄両株が必要な品種群が原産地近辺の地中海沿岸や西アジアでは古くから栽培されてきた。

ほとんどの種類の果実は秋に熟すと濃い紫色になり、下位の部分から収穫することができる。甘みのある食用とする部分は果肉ではなく小果と花托である。

原産地に近いメソポタミアでは6千年以上前から栽培されていたことが知られている。地中海世界でも古くから知られ、エジプト、ギリシヤなどで紀元前から栽培されていた。

古代ローマでは最もありふれた果物の一つであり、甘味源としても重要であった。最近の研究では、ヨルダン渓谷に位置する新石器時代の遺跡から、1万1千年以上前の炭化した実が出土し、イチジクが世界最古の栽培品種化された植物であった可能性が示唆されている。

今日、果実は生食するほかに乾燥イチジクとして多く流通する。生果・乾燥品ともに、パン、ケーキ、ビスケットなどに練りこんだり、ジャムやコンポートにしたり、スープやソースの材料として、またワインや酢の醸造用など様々な用途に使われている。

果実には果糖、ブドウ糖、タンパク質、ビタミン類、カリウム、ペクチンなどが含まれている。クエン酸が少量含まれるが、糖分の方が多いので甘い味がする。

 

あまくさ晩柑

2020/07/21

設計前の現場調査で通りがかった、環状8号線沿いの神戸屋レストランで「あまくさ晩柑 生搾り」のチラシを見つけました。天草市佐藤柑橘農園 生産とありました。

気候が温暖な天草市では多くの、果樹園で色々な柑橘類を作っていますが、実家でも色んな柑橘類を作っていますが、「あまくさ晩柑」はないので少し調べてみました。

「あまくさ晩柑(ばんかん)は、実は商品名で、品種名は「河内晩柑」といいます。「河内」と言っても大坂ではなく、熊本県河内町のことで、ここで、

昭和9年頃に偶然発見されたから「河内晩柑」という品種名が付けられました。河内町で自然発生していた柑橘です。

 

ほとんどの品種が、秋ごろから収穫が始まる柑橘類の中で、一番遅い時期(晩)に収穫され出回ることから「晩柑」と名付けられました。

開花は5月初旬ごろですが、実は11月頃から12月頃に黄色く着色し、翌年1月頃から食べることができます。2月の寒波が来るまでに収穫する地区も多く、汁気が多いので、和製グレープフルーツとも呼ばれます。

グレープフルーツとは違い苦味が少なく、酸味と糖度の程よいバランスの爽やかな味わいです。粒がぷっくりとしてむきやすい、木なり完熟特有のやさしい甘さです。

陶石の大産地でもある天草。この土はミネラルが豊富で水はけが良いため、コクのある美味しい柑橘が育ちます。

四方を海で囲まれ、海洋性の暖かい風が吹きます。急に冷えることもありますが、風により冷気が滞留することがなく、越冬する晩柑に適しています。

一般には1~3月に収穫し、貯蔵して2~4月頃に出荷されることが多いですが、「あまくさ晩柑」は出荷に合わせて3月下旬~7月まで収穫します。

そのために、収穫時期に合わせて酸味の残る春先から7月の暑い時期には甘さ控えめのさっぱり味に変わり、時期毎の味の移り変わりが楽しめるのです。

今年の夏は早速、久し振りに「あまくさ晩柑」を味わってみます。

道の駅「足柄・金太郎のふるさと」

2020/07/15

東名高速道路の大井松田インターチェンジを下りて、箱根方面に5分ほど走ると道の駅「足柄・金太郎のふるさと」が、ありました。「道の駅」大好きな私は早速よってみました。

当初は4月24日に開業予定だったらしいのですが、新型コロナウイルスの感染拡大で6月26日にオープンになり、たいそう賑っていました。神奈川県内では5年ぶりの登録です。

「足柄のおいしさをあなたに伝えたい」との思いを込め、神奈川県西地域の多彩な魅力を発信して南足柄市と箱根町をつなぐ県道完成後には、箱根への新しい東の玄関口として賑わいを創り出す。

物販エリアでは、184人の生産者による農産物や、加工品などが並んでいました。又、足柄茶のブランド「金太郎」など2ブランドの道の駅限定商品も多数あります。

エリア内農産物直売所では、地元の生産者が育てた野菜や、果物などを販売。生産者の顔を掲示することで、消費者に安心・安全を届けるとともに、生産者のファンを増やしていく。

「ふるさとゴハン食堂」では、足柄ゴハンを食べに行こうをコンセプトにして、「やまゆりポーク」・「かながわ鶏」などを使用した創作グルメなどを取りそろえる。

「おすすめは、足柄牛ガーリックステーキプレートと、相州牛 ウニとろ牛めしがとても美味しいそうでした。足柄茶を使用した茶そばなども食してみたいです。

私は足柄茶のソフトクリームを食べ、南足柄市生産の野菜をたくさん買って帰りました。次は相州牛 ウニとろ牛めしを食べてみたいです。

英国住宅

2020/07/16

この家は施主様が英国留学時代に住んでいた家を再現して欲しいとの要望からこの様なデザインになりました。もちろん英国では、構造躯体はレンガだけでできていますが、それでは構造は地震にも弱いので、構造躯体はツーバイフォー工法で外壁
のみレンガを積んであります。

構造躯体がレンガだけでは、地震に弱いだけでなく 断熱性がないので、夏場エアコンの冷房が効かず 冬場の暖房代が大変だと思います

外壁は赤レンガ、そしてコーナーに白レンガ 玄関口は ドアーキャノピーをつけて構造躯体に細繊維グラスウールを入れて断熱性を良くしてそして「24時間換気システム」のエアコン1台で冷暖房設備の「マッハシステム」をつけてあります。

外見は英国風ですが、中身は最新の高気密高断熱の「省エネルギー」住宅です。

日本では住居というとまず一戸建てか マンション・アパートという大きな仕分けがありますが、英国では戸建てにも3種類のカテゴリーがあり、マンション・アパートといった集合住宅にも様々な形態のものがあります。

英国の都市計画、住宅政策、不動産を語るうえで欠かせない、住宅形態についての基礎知識を説明します。

まず、大まかに分けて住居者がその不動産を所有しているのか借りているのかの違いがあります。

住んでいる人がその土地や建物の不動産を所有している場合を「フリーホールド
(Freehold)」と言い、借りている場合を「リースホールド(Ⅼeasehold)」といいます。

新規に家を購入する殆どの英国人はモーゲージ(mortgage)と呼ばれる住宅ローンを貰って家を購入します。

第2次世界大戦後の住宅不足の時「ゆりかごから墓場まで」の福祉政策の一環としてイギリス政府が行ったのは地方自治体に補助金を出して賃貸し目的の公的住宅を建てることでした。

「ハウス」と言っても形態はフラットから戸建てまで色々なものがあります。地方自治体が管理し、家賃は住居者の収入に合わせて決められるため、殆どの住居者は市場の家賃よりも安い値段で暮らすことができます。

その賃貸住宅は80年代のサッチャー保守党時代の住宅政策により、多くが売却されており、その後は新築も殆どないため、その数は新築も殆どない為、その数は極めて少なくなっています。

地方自治体が公的住宅を建てなくなってから、その存在が目立ってきたのが「ハウジング・アソシエイション」と呼ばれる住宅協会です。小規模なものから大規模なものまでその形態はさまざまですが、政府の補助金も受けて半官半民のような形で「比較的安価な」住宅を提供しています。

最近ではイギリスの賃貸住宅はほとんどが民間の業者によるものです。これも個人が貸す、小規模な建物から大手企業が扱うものまで様々です。

家賃は市場価格なので、ロンドンなど大都市では高騰し続けており、若者や低収入層が都心に住めなくなると言った問題が年々深刻になっています。